蔵元だより
「北限のゆず」と地域ブランド化への取り組み
岩手県南東部の沿岸に位置する陸前高田市。2011年3月11日の東日本大震災で、津波による大きな被害を受けたこの地域で行なわれている、ある取り組みが今注目されています。ここ陸前高田市には、古くから「ゆず」が広く生息しており、地元では身近な果実として知られていました。最近になり、陸前高田市は安定した量の「ゆず」を収穫できる日本最北端の地域だということが判明し“北限のゆず”としてブランド化に取り組み始めているのです。
トレボン・マリアージュ第4回では、この“北限のゆず”のブランド化を進めている『北限のゆず研究会』をご紹介します。『北限のゆず研究会』が主催されているゆず狩りボランティアへ参加し、会長の佐々木隆志さんにお話を伺いました。
秋の収穫期に行なわれる”ゆず狩りボランティア”
2014年11月から12月の始めまでの毎週土曜日、陸前高田市では『北限のゆず研究会』が主催する“ゆず狩りボランティア”が開催されました。市内に点在しているゆずの木から収穫を行なうイベントで、2012年から開催され今回で3回目になります。
2014年11月15日午前10時頃。「川の駅よこた」には20名以上のボランティア参加者が集まりました。それぞれ自己紹介を終えると、くじ引きで三班に別れて陸前高田市内の各地へと向かいます。今回は『北限のゆず研究会』会員の畠山さん率いるチームに同行し、とある民家へとお邪魔しました。
この日は天候にも恵まれて穏やかな青空が広がり、ゆず狩りに適した天候でした。青々としたゆずの木には、綺麗に色づいた大きな実が生っていました。早速、ゆずの収穫を始めようとすると、畠山さんから厚手の手袋を手渡されました。「ゆずの木にはトゲがあるから、素手のままだと怪我をするよ。」と教えてくれた畠山さん。実はゆずの木には鋭く大きなトゲがついているのです。そのため、低い位置ではさみを使用する時や、樹木の奥に生る実を取る時には厚手の手袋が不可欠となります。
低い位置に生った実は、剪定ばさみで慎重に切り落とし、高い位置の実は高枝切りばさみを使って、落下させないように丁寧に木から切り取っていきます。収穫を始めると、次第に爽やかなゆずの香りが辺りに広がります。慣れない内は参加者のみなさんも、四苦八苦しながら高枝切りばさみを扱っていましたが、30分もすると少しずつコツを掴み、慣れた手付きでゆずを収穫していくことができるようになっていました。
午前中は2時間ほど作業を行ない、およそ30kgのゆずを収穫。お昼休憩を取ったあと、ゆず狩りを再開して夕方までには100kg以上のゆずを収穫することができました。三班を合わせると、この日だけで300kg近いゆずを収穫できたそうです。
『北限のゆず研究会』が主催する“ゆず狩りボランティア”は、毎年11月から雪の降り始める12月初めまで毎週土曜日に行なわれます。毎年、秋ごろに『北限のゆず研究会ウェブサイト』にて告知されますので、興味がある方は、是非参加してみてください。
『北限のゆず研究会』の発足とこれから
“ゆず狩りボランティア”終了後、陸前高田ふれあい市場にて、『北限のゆず研究会』会長の佐々木隆志さんに、研究会発足の経緯についてお伺いました。
『北限のゆず研究会』が発足したのは2013年6月。震災からの復興を目指す中、古くから陸前高田市に生息する「ゆず」に注目し、地域ブランド化していくことを目的として日々活動を行っています。
元々、この地域には古くからゆずが生息しており、地元住民は漬物やゆず湯に使うなど、生活に根付いた馴染みのある植物だといいます。古い樹木は江戸時代頃から生息しているようですが、なぜ陸前高田市に広くゆずが生息しているのか、詳しい理由はよくわかっていないそうです。
実は、この陸前高田市のゆずにいち早く注目したのが南部美人の社長、久慈浩介でした。2010年頃、新商品開発に向け、陸前高田市のゆずを取り寄せましたといいます。当初送ったおよそ30kgのゆずを使い、新作リキュールの試作を行った久慈社長。数々の試作を経て、爽やかな香りを持ち、日本酒の甘みとゆずの酸味ある果汁が絶妙なリキュール「ゆず酒」が生まれました。このお酒の商品化に向け、本格的に動き出そうとした矢先に起こったのが、あの東日本大震災だったのです。
震災後間もない、2011年6月頃には陸前高田市内の産直が再開されました。収穫したゆずを南部美人へ送り、ようやく商品化に向けた活動が再開されました。2012年9月には、生産された「ゆず酒」の販売が決まり、陸前高田市のみで限定販売することになりました。このゆずを使った復興への取り組みが話題になり、マスコミに取り上げられたこともあって、「ゆず酒」は販売開始後2ヶ月で完売してしまったといいます。2013年には2000本まで増産され、陸前高田市の採れたてランド高田松原、陸前高田ふれあい市場、あすなろホームのみで販売されています。
「陸前高田市のゆずは、他地域のゆずより風味、香りがいいと評価されますね。岩手県内の研究施設や、大阪の長岡工業株式会社で分析を行っているのですが、もう数年は品質を分析する必要があると考えています。」と話す佐々木会長。南部美人の「ゆず酒」以外にも”北限のゆず”を使った商品開発が行なわれており、障害者就労継続支援を行なう あすなろホーム では、ケーキやクッキーなどのスイーツを開発。2014年からは、岩手県内のビールメーカーであるベアレン醸造所も加わり、”北限のゆず”を原料とした商品は10商品になったといいます。
『北限のゆず研究会』発足後、力を入れてきたのが生産量の拡大でした。現在は、県外からゆずの苗木を購入し、地域に普及させるための活動を行なっているといいます。「早ければ3〜4年で苗木に実が付き始めるといいますが、10年は我慢の期間と考え、じっくり管理して育てていきたいです。」と佐々木会長。あまり知られていませんが、ゆずの木は一年おきに実が付く「隔年結果」性が強い植物です。1本の樹から毎年収穫することは難しいのですが、剪定などを行いながらきちんと管理を行なうことで毎年実を付けることができるようになるのだそうです。
南部美人と”北限のゆず”
南部美人が“北限のゆず”を使って生産するリキュール「ゆず酒」。先でも紹介しましたが、誕生のきっかけは、現社長・久慈浩介の地産にこだわる想いだったと言います。「ゆず酒」造りで中心になった小野工場長に開発当時を回想してもらいました。
南部美人がゆず酒の試作に着手したのは2010年頃のこと。当時、イチゴやブルーベリーなどの様々な果物でリキュールの試作を行っている中、候補に上がった果実が「ゆず」だったといいます。岩手県内で生産される果物にこだわっていた南部美人でしたが、当初「ゆず」が岩手県で収穫できるとは知らなかったそう。とあるところから、三陸地方でゆずを収穫できるとの情報を得て、陸前高田市からゆずを取り寄せ、ゆず酒の試作に取り掛かったといいます。
「陸前高田市のゆずは香りが強いのが特徴で、日本酒とゆず果汁の配合に一番苦労しましたよ。」と話す小野工場長。当初は、お酒の味わいや香りよりも、ゆずの酸味や苦味が強いリキュールだったそう。「南部美人のリキュールは糖類無添加で生産しているので、甘さを出すための配合が難しかったね。」と、当時を振り返ります。南部美人のリキュールは全麹仕込みの純米酒を使用しているため、果汁が少ないとお酒の香りが強くなり、果汁が多すぎると酸っぱさが出てしまうのです。数多くの施策を経て、お酒甘みと果実のさっぱり風味が最も生きる配合量を見つけ出したのです。
現在は、”北限のゆず”で地域ブランディングを進めている陸前高田市で収穫されたゆずを南部美人が買い取り、陸前高田市の福祉施設あすなろホームさんへ果汁絞りを依頼しています。南部美人で生産したゆず酒は、陸前高田市内の特定の場所のみで販売されております。北限のゆず研究会サポーター企業として、地域振興とブランド作りに積極的な活動を行なっています。