蔵元だより
無農薬の合鴨(あいがも)農法で作る酒米
日本酒は基本的にお米と米麹、水を原料として生み出されます。シンプルな素材で作られるが故に、原材料の品質や職人の技術によって、生み出されるお酒に様々な表情が表れるのです。お酒造りに欠かすことのできない酒米の品質は、お酒の品質を大きく左右すると言っても過言ではありません。
トレボン・マリアージュ第3回でご紹介するのは、岩手県滝沢市で酒米「美山錦」を生産されている農家の武田さんです。武田さんが実践されている無農薬の『合鴨農法』についてお伺いしました。
合鴨農法を始めたきっかけ
日本百名山にも選定されている岩手山を麓に臨む岩手県滝沢市。県庁所在地の盛岡市北西に位置するこの街は、国の無形文化財にも指定された伝統行事『チャグチャグ馬コ』発祥の地として知られる、自然豊かな風景が広がる地域です。
武田さんがこの滝沢市で合鴨農法を始めたのは20年前のこと。近所の農家さんが行っていた合鴨農法を見学し、関心を抱き始めたことがきっかけだったといいます。
合鴨農法を始めた最初の年、収穫したお米を東京のお米屋さんに食べてもらった際に「武田さんが合鴨農法で作ったお米は美味しいね!」と言われたそうです。それまでは、お米の収穫量や等級で評価されることが多かったという武田さんですが、お米のプロから直接「美味しい」と言ってもらえた事から、『美味しく、安心安全なお米を届ける事』を自分の使命と考え、合鴨農法を続けて行くことを決意しました。この体験に大きな感動を覚え、当時生まれたばかりの息子さんと一緒に、合鴨農法を続けていく日を夢見るようになったと話します。
それから10 年が経ったある日、自分が生産したお米で日本酒を作ることができないかと興味を持った武田さんは、盛岡市内で酒店を営む友人の芳本さんに酒米づくりについて相談しました。それから今日までの間、完全無化学肥料・無農薬の合鴨農法で酒米「美山錦」の生産を続けているのです。
合鴨農法のメリット
今回取材に訪れたのは、滝沢市大釜地区の田園地帯。晴れた日は、遠くに雄大な岩手山を臨む閑静な地域です。取材させていただいた田んぼは約60 アールの面積を持ち、20年前に合鴨農法を始めた最初の田んぼだと言います。
毎年、田植えが終わった5 月末頃から合鴨のヒナを田んぼに放し、合鴨農法が始まります。田んぼに放たれたカモたちは、およそ60 羽。常に団体行動を取り、群れになって稲の間を縦横無尽に駆け回ります。その様子を見ながら、合鴨農法を行なうメリットを武田さんに説明していただきました。
● 除草と害虫駆除
「合鴨農法」は、合鴨が田んぼの中に生えた雑草や害虫を食べることにより、農薬を使わずに稲を生育できる農法として知られています。合鴨は、田んぼの中を群れで移動しながら、水中に頭を突っ込んで害虫や雑草をついばみます。
● 中耕
合鴨が雑草や虫をついばむ際に、稲が揺れて付着していた虫が落ちるため、稲にはほとんど虫が付かない状態になります。加えて、根の部分には適度な刺激が与えられるため、太くて力強い丈夫な稲が育ち、倒れにくくなるといいます。美山錦は比較的背丈がある稲なので、倒れにくい稲が育つということは収穫量を上げることにも繋がります。
● 稲の育成
「合鴨農法」は、合鴨が田んぼの中に生えた雑草や害虫を食べることにより、農薬を使わずに稲を生育できる農法として知られています。合鴨は、田んぼの中を群れで移動しながら、水中に頭を突っ込んで害虫や雑草をついばみます。
● 肥料効果
「合鴨達が田んぼの中で排泄する糞尿は、田んぼや稲の貴重な養分となりますが、実はその糞尿を分解してくれる微生物がいなければ、栄養にならないんですよ。」と話す武田さん。長年、無農薬栽培を続けてきたおかげで、たくさんの微生物が繁殖しやすい健康な田んぼに育ったといいます。
合鴨農法によるお米づくりの難しさ
● 外敵からの脅威
長年、合鴨農法を続けてきた武田さんですが、これまで多くの困難に立ち向かってきました。「一番の苦労は、外敵から合鴨を守ることでした。」と話します。以前は合鴨達を24 時間田んぼに放していたそうですが、今ではキツネの襲撃から合鴨達を守るため、夜間だけ専用の巣箱に入れています。
● いもち病を防ぐ
武田さんが稲の栽培で、特に気を使っているのは『いもち病』と呼ばれる稲の病気です。いもち病は、稲が『イネいもち病』菌に感染して起こる病気で、冷夏や梅雨の季節などに発生しやすいと言われます。武田さんはいもち病を防ぐため稲同士の間を広げ、風通しを良くするように工夫して田植えを行なっています。また、稲が土中に根を張る『根域』も考慮し、根の間隔を取ることで丈夫な稲が育ちやすい環境を整えています。
合鴨農法のこれから
20年前、合鴨農法に取り組み始めた武田さんが真っ先に取り組んだのは田んぼの土作りからでした。岩手山からの火山灰土が広がる滝沢市では、土の中に含まれるリン酸が少なく、稲の生育に不利とされてきました。長い時間をかけて土壌改良を進め、今日では稲の生育に十分な栄養を含んだ土壌に生まれ変わったといいます。
「長年、合鴨農法をやってきていますが、ちょうどいい収穫量を見極めるのは難しいですね。毎年、同じものができないのは米作りも酒造りも一緒です。」と話す武田さん。生きているものを取り扱う仕事なので、毎年質の高い稲を多く収穫することは難しいと言いますが、そこに面白さを感じているようです。
実は、武田さんの合鴨農法で栽培された酒米「美山錦」は、南部美人で生産している別ブランド『芳梅』の原材料として使用されているのです。
南部美人のスタッフと蔵人達が造りにこだわった手仕事で、自分の生産したお米から『芳梅』が造り出された時には、この上ない喜びを感じたといいます。
「20年間無農薬で農業をしてきて、息子に残せるものは田んぼの土だけです。育ててきた土と、その時代に合った技術で農業をやっていけばいい。」と語る武田さん。お酒造りに関わるたくさんの人とのつながりを大事にしながら『酒造りは米作りから。米作りから全てが始まる。』という信念を持ち、武田さんは今日も合鴨農法で酒米づくりに取り組んでいます。
三者の「縁」から生まれた食中酒『芳梅』
武田さんが生産する無農薬栽培の美山錦だけを使って生み出される『芳梅』。この『芳梅』は南部美人が商標を取得したブランドであり、紆余曲折を経て誕生した日本酒です。武田さんが作る酒米から『芳梅』が誕生したきっかけを、久慈雄三常務に語ってもらいました。
久慈常務が酒造りに取り組み始めたばかりの2000 年頃。「お酒は呑んで楽しむだけのもの」という風潮に、久慈常務は漠然とした違和感を覚えていました。そんなもやもやとした想いを抱えていた頃、南部美人と古くから付き合いがある盛岡市の地酒屋「芳本酒店」の店主・芳本和重さんと何度も相談しあうことで、『食べながら呑むことを主とした食中酒を造りたい』という想いをはっきりとした形にしていったのだといいます。
久慈常務が初めて行なう酒造りにあたり、芳本さんの紹介で出会ったのが武田さんと無農薬栽培で生産する美山錦でした。「米粒は小さく、心白も少ない細いお米だったね。でも当時は、初めての酒造りへの想いとプレッシャーのほうが大きかったから、さほど気にならなかったよ。」と久慈常務は語ります。技術的にほとんど素人に近かった久慈常務を支えたのは、先代の故・山口一杜氏を始め、蔵人や製造スタッフ達でした。
しかし、久慈常務が最初に造った酒は出来が酷く、現社長(久慈浩介)から南部美人の商品としての販売が許されなかったといいます。そこで、当時たまたま商標取得をしていた『芳梅』の銘柄を使用することになったのでした。
武田さんと芳本さん、久慈常務の三者の縁から生まれた『芳梅』。「お酒造り携わって10 年以上が経ち、武田さんのお米が自分の酒造り手法に合っていると感じるよ。」と語る久慈常務。今後は、武田さんと協力しながら無農薬栽培の酒米を使った、より美味しい食中酒造りに励んでいくといいます。